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店主が好きな美人画を描いた浮世絵師10人

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にっこにこ太陽古美術店イメージゴッホやセザンヌなどヨーロッパの作家にも影響を与えたという浮世絵

その中でも美人画を書いていた浮世絵師の中で好きな作家を10人あげてみました。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ1. 鈴木 春信(すずき はるのぶ)

享保10年(1725年) - 明和7年6月15日(1770年7月7日)江戸時代中期の浮世絵師。

錦絵は鈴木春信が一人で起こしたものではないが、一挙に多色摺版画の完成度をあげ、かつ美的世界をうみだしたことでは第一人者としていいと思う。

さらに、中間色や黒潰しのバックや不透明な色調による画面の沈潜した調和、これが春信の情緒的世界を気品あるものにした。

また、注文主、アイデアを提供したプロデューサーにあたる、文化人たちからの教養だろうが「座敷八景」のシリーズに見られるような見立て絵、古今和歌集などの古典世界と当世風俗を重ねて味わせるなど文学的要素を浮世絵に吹き込んだが、そればかりでなく、むしろ写実的に町家の婦女の生活なども素材に選んでいる。

それらの美人たちはこれまでの、例えば壊月堂風の肉体美人でもなく、西川祐信の豊満な小柄な女性たちでもなく、むしろ、中国版画的な手足の短い楚々たる女性としてえがいている。

小柄で、あくまでも愛らしくというのが春信の美意識であった。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ2. 宮川 長春(みやがわ ちょうしゅん)

天和2年(1682年) - 宝暦2年11月13日(1752年12月18日)

この時代、壊月堂のような様式美によらず自由に当世美人をかいた宮川長春は、その生涯、肉筆画だけ残した特色ある絵師。

狩野派から差別待遇を受け、それが原因で長春の子が報復事件を起こしたこたがったが、各式を誇る狩野派でも、長春の力量を高く評価していたことはあきらか。

長春もまた自負を持ちながら、お抱え絵師に近づき、あるい狩野派のような高い位置を望んでいたかもしれない。

御用画家と町絵師の境界線は厳しいものであることも知らされていたが、町の版下絵師と自分とを引き離して考えていたこともあったと思う。

門流からは、長亀・春水・一笑・正幸など、優れた肉筆画家が出ている。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ3. 喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)

宝暦3年(1753年)頃? - 文化3年9月20日(1806年10月31日)江戸時代に活躍した浮世絵師。

浮世絵の美人画は清長によって大柄な骨格、画境を得たとするなら、歌麿の出現によって、より艶麗な肉付き、体温を得たといえる。

この黄金期いたって、王朝趣味や古典趣味は交代して庶民の求める現実の美世界が前面に強く出る。

実写といえば写実だが、一方にはそういう美に対する自負なり自身も定着したということでしょう。

そして歌麿の美人画は世間の人情のほかさらに人間の本性、女性の本質的なものまでせまろうとする。

また、秘画についても、高名な歌麿だが、その代表作「歌まくら」のほか墨摺絵本の数も多い。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ4. 鳥居清信(とりいきよのぶ)

寛文4年(1664年) - 享保14年7月28日(1729年)江戸時代中期の浮世絵師。鳥居派の祖

菱川派が版本の復刻や下絵から出発したのに対し、鳥居派は劇場に属し、看板絵や番付をかくところから出発する。

初代、鳥居清春が、もと女形役者で看板かき清元の子であったことも意味深い。

また、菱川派が江戸に始まったのに対し、鳥居派は大阪から生まれ、のちに江戸に移ってくる。

清信の描く勇壮な役者絵は、瓢箪足(ひょうたんあし)、みみず描き、と呼ばれるように、筋肉の盛り上がりを極度に誇張した表現で、その表現派的な作品はその時期の江戸歌舞伎をより印象的なものにした。

このパターンは清信の子、清倍(きよます)に至って完成し、ずっと後まで鳥居派の様式として定着した。が、やがて三代目の清満(きよみつ)、清広(きよひろ)の時代になると、芝居、役者絵ばかりでなく、美人画にもフレッシュな感覚と表現を送り込む。

それは菱川派の美人と比べ、その表現はいっそうロマンチックで、線に細味もまし、表情美もいちじるしく進歩をみせるようになる。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ5. 菱川師宣(ひしかわもろのぶ)

元和4年(1618年) - 元禄7年6月4日(1694年7月25日)

浮世絵版画の祖といわれ代表的存在の菱川師宣はそのはじめ古版絵入本復刻の下絵や名所絵などからその道に入り、才をのばしたものでしょう。

やがて、当時の風俗描写に個性をあらわし、挿し絵は一枚摺りの独立した絵として売り出されるようになり。

その表現は簡明な描線、福々しい健康な女性が特徴で、すべてに病的なかげりがない。

その好色的な吉原絵や秘画の類もあけっぴろげでほほえましい。

この木版画として量産されるようになった好色画が、その大衆文化と以降の浮世絵に大きな影響を与えることになります。

師宣の長男、師房(もろふさ)、その子 師寿(もろひさ)、門人 師重(もろしげ)、その子 師政(もろまさ)などがその系流だが、師政(もろまさ)のの時代になると元禄期浮世絵界をおさえていた菱川派も異風となり衰えていきました。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ6. 鳥居 清長(とりい きよなが)

宝暦2年〈1752年〉 - 文化12年5月21日(1815年6月28日)

江戸時代の浮世絵師。鳥居派四代目当主にして鳥居派の代表的な絵師。

鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍

写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人。八頭身の美人画が世界的に高く評価されている。

鳥居清長は40年にわたり作家活動を行っており特に長身の美人画をもって一世を風靡した。

若くして鳥居派につき、役者絵や春信、重正、湖竜斎などの影響を受けながらやがて安楽の末から美人画で一家の風をなし次々に大判二枚続き、三枚続きの美人画を発表し、その位置を不動のものにした。

鳥居派のお家芸の役者絵のうえでも、写実的な舞台面、いわゆる「出語り図」を発表し、新生面を開いていいる。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ7. 司馬江漢(しばこうかん)

延享4年(1747年)〜明和7年(1770年)司馬江漢の錦絵は春信のものと見分けがつかないくらいよく似ている。

春信の活動期はわずか5年であったが、その影響は大きく、まったく春信風の美人画を追った人々のほか、役者絵を得意とした一筆斎文調、勝川春章などにも影響を与えている。

ことに春重という筆名の司馬江漢は作品が春信と間違うくらいまぎらわしいくらいの美人画を描いているところからスタートしていた。

司馬江漢は春信の門人ではなかったが、偽作を作ったと後になって書いているのでまぎらわしいほど似ているのもうなずける。

しかし、司馬江漢はその後、オランダ版画を研究し、天命三年(1783年)一連の銅版画を発表し春信風の錦絵とはきっぱりと縁を切って独自の世界観を持つようななった。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ8. 西川 祐信(にしかわ すけのぶ)

寛文11年(1671年) - 寛延3年7月19日(1750年8月20日)

江戸で一枚摺の版画が売り出されている頃、京阪でこれを始めず、ほとんど絵本と肉筆をかき続けた上方絵師の代表として、西川祐信は第一にあげなければならない重要な絵師です。

ブリティッシュミュージアムその他に彼の一枚摺があると言われているが、祐信の場合は、版元との関係が密であったことと、一枚絵として売る地盤が、京阪では弱かったことがあげられます。

その精力は、主として絵本にそそがれていた。またその主張としても異国風を追わず、自分の国の風俗を見直して、描くという自負に満ちた強靭な思想がバックにありました。

その女性は、この創世期の中で小柄ながら最も豊熟していて、当時の京阪さらにはえどの浮世絵ばかりでなく、後世にも大きな影響を与えていいます。

柳里恭が「絵の名人と云うは西川祐信より他になし。西川祐信は浮世絵の聖主なり」とまで絶賛していました。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ9. 鳥文斎 栄之(ちょうぶんさい えいし)

宝暦6年(1756年) - 文政12年7月2日(1829年8月1日)江戸時代後期の浮世絵師、旗本。

寛政から文化文政期にかけて活躍、武家出身の浮世絵師らしく、清楚で慎ましやかな全身美人画で人気を博した。

鳥文斎 栄之は500どりの武士で狩野派にも学び正統的な画技を習得しながら、のちに浮世絵師になったという経歴はその作品からおのずと品格が漂っている。

歌麿の輝かしい時代と主に活動し歌麿より長く生きた鳥文斎 栄之が歌麿に対する画風を維持し拓いたことは、この時代の健康さと多面性をあらわしている。

これは黄金期が多くの個性的な美を育て育む寛容さというべき空気を持っていたことと、鳥文斎 栄之の自立した精神のつよさもあるのでしょう。

 

にっこにこ太陽古美術店イメージ10. 葛飾 北斎(かつしか ほくさい)

宝暦10年9月23日(1760年10月31日)? - 嘉永2年4月18日(1849年5月10日)江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人

もっとも万能的で、質量ともに抜きん出た絵師は葛飾北斎をおいてないでしょう。

長寿で活動期間が長かっただけでなく、伝統的な画法、漢画的手法、洋画法等、その視野と力量も広く、肉筆、版本挿絵、錦絵、とすべてのジャンルにわたり意欲的だった。風景画を独立させた先駆者でもあり、そうかと思うと漫画的な機智、才筆、素画力を見せる。

秘画にしても一方の雄に歌麿をおけば、人は葛飾北斎の「波千鳥」を置くという具合でしょう。

また銅版画、油絵にも彼の関心は強かったのですが、ながい、その生涯ではついに果たせませんでした。

葛飾北斎につては、その業績、性格、言行、奇癖等、語ることも多いが、作品のみによっても浮世絵師の枠をはみ出した画家であったようです。

にっこにこ太陽古美術店イメージまとめ

役者絵や東海道中五三次などの風景がより美人画のようが見ていて飽きないのでいいです。

また、時代により美人の書き方も変わるというかその時代の好みが変わるのも面白いです。

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にっこにこ太陽古美術店やさしい買取担当の店主杉本 昭博
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