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中国の歴史 534年から577年 東魏-北斉の年号

中国美術品に出てくる十干十二支をまとめました

中国美術の買取を行っているとどうしても十干十二支の知識が必要なのですが、数が多すぎて覚えきれないので500年代の年号と十干十二支をまとめて見ました。

この時代は元号が三つに別れています

コレで骨董品に「天保四年 壬申」などと書かれていても西暦で云うと553年だとすぐに分かると思います。

時代をクリックすると内容が見られます。

東魏(とうぎ、534年 − 549年)
西暦・年号十干十二支日本の元号備考
534(天平)2年甲寅(きのえ とら)― ― ―― ― ―
535(天平)3年乙卯(きのと う)― ― ―― ― ―
536(天平)4年丙辰(ひのえ たつ)― ― ―― ― ―
537(天平)元年丁巳(ひのと み)― ― ―― ― ―
538(元象)元年戊午(つちのえ うま)― ― ―― ― ―
539(興和)2年己未(つちのと ひつじ)― ― ―― ― ―
540(興和)3年庚申(かのえ さる)― ― ―― ― ―
541(興和)4年辛酉(かのと とり)― ― ―― ― ―
542(興和)元年壬戌(みずのえ いぬ)― ― ―― ― ―
543(武定)2年癸亥(みずのと い)― ― ―― ― ―
544(武定)3年甲子(きのえ ね)― ― ―― ― ―
545(武定)4年乙丑(きのと うし)― ― ―― ― ―
546(武定)5年丙寅(ひのえ とら)― ― ―― ― ―
547(武定)6年丁卯(ひのと う)― ― ―― ― ―
548(武定)7年戊辰(つちのえ たつ)― ― ―― ― ―
549(武定)元年己巳(つちのと み)― ― ―― ― ―
中国の南北朝時代にあった北朝の国の一つ。北魏が分裂して成立した二つの魏のうち、函谷関の東側で中原を中心とした版図を持つ国の呼び名。函谷関の西側で関中を中心とした版図を持つ国の方は、西魏と呼んで区別する。

 

北斉(ほくせい、550年 - 577年)
西暦・年号十干十二支日本の元号備考
550(天保)2年庚午(かのえ うま)― ― ―南北朝時代の北斉において、文宣帝の治世に使用された元号
551(天保)3年辛未(かのと ひつじ)― ― ―― ― ―
552(天保)4年壬申(みずのえ さる)― ― ―― ― ―
553(天保)5年癸酉(みずのと とり)― ― ―― ― ―
554(天保)6年甲戌(きのえ いぬ)― ― ―― ― ―
555(天保)7年乙亥(きのと い)― ― ―― ― ―
556(天保)8年丙子(ひのえ ね)― ― ―― ― ―
557(天保)9年丁丑(ひのと うし)― ― ―― ― ―
558(天保)10年戊寅(つちのえ とら)― ― ―― ― ―
559(天保)元年己卯(つちのと う)― ― ―― ― ―
560(乾明皇建)元年庚辰(かのえ たつ)― ― ―南北朝時代の北斉において、廃帝高殷の治世に使用された元号。南北朝時代の北斉において、孝昭帝の治世に使用された元号
561(太寧)元年辛巳(かのと み)― ― ―南北朝時代の北斉において、武成帝の治世に使用された元号。
562(河清)2年壬午(みずのえ うま)― ― ―「河清」の語は、562年4月に黄河と済水がともに澄んだため、これを吉兆としたことに由来する
563(河清)3年癸未(みずのと ひつじ)― ― ―― ― ―
564(河清)元年甲申(きのえ さる)― ― ―― ― ―
565(天統)2年乙酉(きのと とり)― ― ―南北朝時代の北斉において、後主の治世に使用された元号
566(天統)3年丙戌(ひのえ いぬ)― ― ―― ― ―
567(天統)4年丁亥(ひのと い)― ― ―― ― ―
568(天統)5年戊子(つちのえ ね)― ― ―― ― ―
569(天統)元年己丑(つちのと うし)― ― ―― ― ―
570(武平)2年庚寅(かのえ とら)― ― ―南北朝時代の北斉において、後主の治世に使用された元号。
571(武平)3年辛卯(かのと う)― ― ―― ― ―
572(武平)4年壬辰(みずのえ たつ)― ― ―― ― ―
573(武平)5年癸巳(みずのと み)― ― ―― ― ―
574(武平)6年甲午(きのえ うま)― ― ―― ― ―
575(武平)元年乙未(きのと ひつじ)― ― ―― ― ―
576(隆化)元年丙申(ひのえ さる)― ― ―南北朝時代の北斉において、後主の治世に使用された元号
577(承光)年丁酉(ひのと とり)― ― ―南北朝時代の北斉において、幼主高恒の治世に使用された元号
中国の南北朝時代に高氏によって建てられた国。国号は単に斉であるが、春秋戦国時代の斉や南朝の斉などと区別するために北斉・高斉と呼ぶ

 

*「北魏」「東魏」「西魏」は、いずれも後代の史家が便宜上そう呼びはじめたもので、本来の国号はみな魏である。また、東魏・西魏のそれぞれが魏(北魏)の正統を自認していた。

 

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