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2020年07月
折紙つき
2020年07月12日
折紙つきとは江戸時代の中期八代将軍吉宗のころ、刀剣の研磨を本業としていた本阿弥家が鑑定しその刀剣の価値や真贋を保証した鑑定書を発行したのが始まりとされていて、価値のあるものや本物ということを証明するときに「この物は折紙つきだから大丈夫」などと使う、折紙付の語源になった。
本阿弥家は室町時代から今でも続いている刀剣の研磨と鑑定が本業としている家系で当代で二五代目になり、その当主は人間国宝に指定されている。
室町時代の頃は戦国時代と近かったのもあり、刀が武士の魂と言う時代だったので需要も多く多くの刀鍛冶がいたが、江戸に入り八代目ともなると、戦もなくなり多くの刀匠が仕事を失っていった。
日本刀といえばその切れ味の鋭さが持ち味だったものが刀が武士の魂と言われていた事もすっかりと忘れ去られて、刀は誰が作ったかとかどういった経緯のものなのかと言ったブランドが幅を利かせる時代になり、刀本来の価値がただの名前だけが独り歩きするようになった。
それを憂いた吉宗は全国にお触れを出して刀匠の腕を競う競技会を開催し優秀な刀匠は江戸に呼んで刀を作らせた。
切れ味を追求するため、それまで人道的な観点から罪人などの死体を切って切れ味を確かめる事がなされていなかったのを復活した。
その切れ味を罪人の死体で何人切ることができるかと試し切りして何人切りという数で切れ味の良さを示していたので、五人積み上げて一気に切ったとされるような刀もあっとそう。
そのかいあって刀本来の切れ味が重要視されるようになり今に続いている。
本阿弥家は刀を研磨するのが仕事です、そうすると鉄の状態、成分によって研磨の方法を微妙に変えないといけません。
それを削った時の手の感触や見ためなどで判断するそうで、同じ刀は二本存在はしないので自ずと真贋が判るようになったのもありそれに価値も付け加えることで鑑定書が出来上がりました。
今では鑑定書に真贋は書かれていますが価値を書くことはされていません。
そして代々研磨と鑑定の仕事で今でも続いているのです。
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