2020年04月
富岡鉄斎 京都の街に遺る足跡を探しに
最後の文人
万巻の書を読んだと言われる最後の文人富岡鉄斎
絵を書くことは独学だった鉄斎は画題や技法を学ぶことはもちろん紙や墨、印などにも興味を持ち勉強していたそうですが特に印は自らを「印癖(いんぺき)」と呼ぶくらい大好きだったみたいで六百顆(か)も所持していたそう。しかし最も好んだのは書物で邸宅の庭に建てた三階建ての書庫魁星閣の玄関には「五千巻の書を読まざる者は、この部屋に入るを得ず」という漢文の扁額を掲げていたそうです。
鉄斎は毎日この書庫に入りその日に読む書物をだし、翌日にはその本を戻して新たな本を出すということが日課だったそう。書物が大好きだった鉄斎は古本屋巡りも良くしていたそうで京都には鉄斎ゆかりの古本屋もあったりします。
自転車で回ってみました
関西でも京都は抜群に寒くてたまらないのですがその寒さも和らいできたのもあり、最後の文人画家 富岡鉄斎の足跡がたくさん残っていて誰でも見ることが出来るので、効率よくたくさん回るためにはどうすればいいか考えたら、移動するのはマイカーは渋滞するしバスは観光客が一杯で乗れない、地下鉄はピンポイントで行けないということで考えたら一番いいのはレンタル自転車ということが分かり調べたら阪急河原町から徒歩2分でレンタサイクルのお店があったのでここで電動アシスト付を借りていざ出発!
阪急河原町駅からスタート
この駅は筆者が京都に行くときに一番便利な駅なのと京都市内の真ん中あたりということで決めました。そして最後に行きつけの駅ナカのパブで一杯やって帰るためもあり一番都合が良かったのです。
虎屋(とらや)
鉄斎と交流が深かった室町時代の後期に創業した老舗の和菓子屋さん。
京都では御所の御用も努めていたところで、明治維新で東京に遷都になるときに天皇陛下のお供をして東京にも出店しましたが、今も京都の一条で和菓子の販売と喫茶のお店2店営業されています、虎屋茶寮にはギャラリーも併設されていて鉄斎の作品も沢山展示されています。
住所:京都市上京区一条通烏丸西入広橋殿町400(虎屋茶寮)
嘉祥菓子図(店内に飾っている掛け軸)
中央に伊賀餅・上から時計回りに浅路餅・武蔵野・豊岡の里・源氏籬(げんじまがき・もしくは げんじかき)味噌松風・桔梗餅。
鉄斎に虎屋から供されたことに大変喜びその御礼としてこの絵を送られたそうです。
嘉祥菓子とは皇室で6月16日の嘉祥の嘉儀に食べるお菓子で、後陽成天皇(1571年〜1617年)の時代から御所御用を勤めている虎屋は毎年宮中の嘉祥に菓子を納めていました。
6月16日には嘉祥菓子を予約販売で購入が可能です。筆者は甘いものが食べられないので購入はできませんでした(笑)。
鶴屋吉信(つるやよしのぶ)
「柚餅看板(ゆいもち)」
鉄斎が儀三郎のために揮毫(きごう、筆をふるって字や絵をかくこと。)した看板
1803年創業と京都ではわりと新し目のお店ですが、京都を代表する菓匠の一つ。
東京に遷都され賑わいがなくなった京都でこのお店は大きく飛躍を遂げました。
当時京都画壇を代表する作家の鉄斎は「柚餅(ゆうもち)」が大好物だったこともありよく通ったそうです。儀三郎は若い頃から古歌や禅や茶の湯に勤み絵もよく書いたそうで、年齢差50歳にもかかわらず仲良くしていたそうで、儀三郎は鉄斎の求めに応じて「柚餅」を調整しては室町一条下ルの鉄斎邸に足しげく通ったと言われています。
住所:京都市上京区今出川堀川西入
佐々木竹苞書楼(ささきちくほうろう)
鉄斎が弁当を持って通った知の寄り道。
1750(ェ延元)年創業の古本屋さん。お店は創業当時の町家のままで所狭しと古い本がおかれています。
今風のブック○フとは全く違う雰囲気の本屋さんです。埃っぽいしボロボロだしハッキリ言って汚い(笑)。が、骨董的な価値のある古本がたくさんあるのです。
鉄斎も鳩居堂や彩雲堂で文房具や筆や紙、墨などを見に行った帰りにこの古本屋に寄り漢籍をお店の二階で読みふけっていたそうで、そのうちに弁当持参で通うようになったそうです。
住所:京都市中京区寺町通姉小路上ル
富岡鉄斎邸跡
数年前まで京都府議議員公舎として使われていましたが現在は京都府が管理して中に入ることは出来ませんでした。
大阪府堺市の大鳥大社の宮司を免官して京都に戻った1882(明治15)年にここに移り住みました。この家はもともと小川流煎茶の家祖の小川可進の旧宅だったものを当時の金額で2百数十円あまりを二年払いで購入したそうです。
その後、隣の横山華山の家も購入しそこに鉄筋コンクリート三階建の書庫と木造2階建ての邸宅を建てました。
鉄斎の傑作の多くはこの邸宅の画室で生まれたそうです。
住所:京都市上京区室町通一条下ル
京都の街は鉄斎さんでいっぱい
鉄斎さんゆかりのお店以外にもお寺の寺標、神社の社標と言った家で言う表札的な物から襖絵、八ツ橋の屋号看板などがあります。
お寺でいうと銀閣寺、東寺、相国寺、社標は晴明神社など
屋号看板は、聖護院八ツ橋総本店、本家八ツ橋、白竹堂など
黒谷金戒光明寺の書院襖絵、知恩院 前田正名顕彰碑、豊光寺塔頭など
富岡鉄斎とは
日本最後の文人画家、京都(三条通新町東)法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれる。詩人大田垣蓮月尼が少年であった鉄斎を侍童として育て、人格形成に大きな影響を与える。
1868年から様々な神社の首席司祭を務め、30歳から40代半まで和泉国大鳥神社(大阪府堺市西区鳳北町)の神官(宮司)を務め、神社の修復を推進しました。
1881年に京都に定住し時間のほとんどを勉強と絵を描くことに費やし1897年に田能村直入・谷口藹山らと日本南画協会を発足させ南画の発展にも寄与しようとし 1919年には帝国美術会員になりました。
芸術的なスタイルをこよなく愛し続け最後の一年の間も絵を描くことをやめませんでした。
兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺の「鉄斎美術館」と、西宮市の「辰馬考古資料館」に多くの作品が収蔵されている。
主な作品に
「阿倍仲麻呂明州望月図」「円通大師呉門隠栖図」(国の重要文化財)辰馬考古資料館蔵
「二神会舞図」東京国立博物館蔵
「旧蝦夷風俗図」(1896年)東京国立博物館蔵
「富士山図屏風」(1896年)清荒神清澄寺蔵 紙本著色 六曲一双
等がある
占いの本 買取ります
占術に関する古本買取ります
占術,占い風水,四柱推命,奇門遁甲,易など占いに関する本の買い取りいたします。
買取を行っているのは中国の易や風水をメインにしているので、西洋占星術やタロットなどの本はお値段がつかないかお断りすることもあります。占術に関するお道具などの買取もいたします。
中華三易
断易
中国で生まれてた占いの一つで紀元前770年から秦の始皇帝による天下統一(前221年)までの約550年間を春秋戦国時代といい、その時代に活躍した鬼谷子(きこくし)という人物が作り上げたと言われている。
易卦を構成する六つの爻(こう)に干支の十二支を割り振り、十二支の陰陽五行による生剋関係などによって判断する。このことから「五行易」とも呼ばれている。
占うにはコインやサイコロを使って出た目から占う易の方法で結果の吉凶がはっきり出るのが特徴。
*爻(こう)は、易の卦を構成する基本記号。長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒(--)の2種類。
梅花易
北宋時代(十一世紀)に出来上がった易の方法。コインやサイコロなどの道具を使わず年月日や目の前にあるモノ(飛んでいる鳥の数や生えている樹木の本数など)の数を元に占う方法。
八卦や六十四卦を基本とする占いで断易と周易の長所を併せ持つ占い
周易
中国の周の時代に出来上がった占いで陰陽説に基づいた占い方法で断易・梅花心易と並ぶ三易の一つ。
易の卦を構成する基本記号の長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒(--)の2種類を使って表す爻(こう)を使って八卦はつけを作り、さらに八通りに組み合わせて64パターンの六十四卦で宇宙万物の生成・発展・消長を説明することが出来る。
古代中国の聖人と呼ばれる伏羲(ふつき)が八卦を作り、その各卦に周の時代の文王説明をつけた(卦辞)、周公がその説明を解釈した(爻辞こうじ)。
その後、孔子が卦の原理を明らかにした(十翼)と言われている。
その後の研究で戦国末期から漢の時代中期に集大成されたと分かっている。
奇門遁甲
春分の日や秋分の日、夏至や冬至などの二十四節気や干支から算出される遁甲(とんこう)局数を基にして遁甲盤(とんこうばん)を作成して占う方法。
構成要素の一つである八門を重要視することから八門遁甲(はちもんとんこう)とも呼ばれる。
隋の時代に書かれた「五行大義」という本に遁甲盤の要素に関する記述があり、盤を作成する方法を全体的に詳しく書かれている文献を遡ると唐の時代にまで遡ることが出来る。
日本にも奇門遁甲が伝来された記録があり。推古10(602)年10月に百済の僧観勒が天文、遁甲、暦書を伝えたのが最初と日本書紀に書かれている。
四柱推命
四柱推命は生まれた年・月・日・時の四つを干支で表し、それを柱とし、その人の生まれ持った運命を表すもので、それぞれ年柱・月柱・日柱・時柱という。
1年の始まりは立春(二月四日ごろ)、月の始まりは二十四節気の中の正節の節入り時刻。1日の始まりは午前0時とする説の方が優位と考えられる。
中国で陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法。
四柱推命という言い方は、日本独自の言い方で本場中国ではこうは呼ばれず、「子平」「三命」「命学」「命理」「八字(パーツー)」などといわれている。
中国の王朝の一つで1100年頃、趙匡胤が建国した北宋が女真族の金に華北を奪われた後南遷して淮河以南の地に再興した政権の南宋の徐居易(徐子平)の書が四柱推命の最古の文献となるため徐子平が命学の祖といわれている。
命理の始まりは戦国時代(紀元前400年〜 200年頃)の蘭台御史(天子の秘書官)の珞琭子であるとも言われている。
根来塗りとは
根来塗り
大体の人が朱色の漆器を想像するだろうが結構間違っている。
ただ赤い漆器を指すのではなく、黒い漆を塗った物にさらに赤い漆を塗ったもので根来寺で制作されたものを"根来塗"と呼び、それ以外のところで作られた赤い漆器をただの"根来"と呼ぶ。
赤い漆は色を出すために多くの色粉を使用しないといけなく強度がなくなっている。その為使っているうちに剥げてあの独特の具合になっていく。
なので古い根来塗りは布で拭くだけで赤い漆が布に付くくらいである。
逆につかないモノは古くないとも言える。そもそもこういった新しいものは"根来"とも呼ばないただの赤い漆器だけど・・・。
黒根来というものもある
黒根来と呼ばれる黒いものも、古いものにはダン紋と言うシワがよっている。コレは木材と漆では水分の抜けるスピードが違い木材のほうが早いためより縮んでしまうので漆の行き場がなくなり木目に沿って膨らんでくる。
根来塗りとは
鎌倉時代、高野山における対立により紀伊国根来寺(和歌山県岩出市)に本拠を移した新義真言宗の僧徒が、寺内で使用するために製作した漆器が有名となったため、広く朱漆器が「根来塗」と呼ばれるようになったとされる。
一般に、古い朱漆器では、表面の朱漆が摩滅して、下地に塗られた黒漆が所々露出し、模様のように見えることが多い。これを人為的に再現し、朱塗の中に黒い部分が浮かぶのを、デザインとして見せることも行われている。
1585年(天正13)豊臣秀吉の根来攻めにあたって、漆器職人達も根来を退去し、海南黒江、輪島、薩摩等に移住して、それぞれの土地に漆器の技法を伝えたとされる。
朱漆をかけず、黒漆のまま仕上げたものは、「黒根来」と呼ばれることがあり、茶道具として珍重される。
「根来塗り」(2018年1月24日 (水) 21:10 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。
漆塗り自体は縄文時代頃から作られていたので、初めて根来塗りが作られた頃には数千年から1万年位の歴史がある工法だったので色んな方法で作られてきた。
ウィキペディアの解説はちょっと変
ウィキペディアの解説で黒だけで作られたものとあるが、骨董品を取り扱う筆者の見解は違う。
当時食器などは漆器が多く使われていて、当然皇族の方達も使われていた。
皇族では時代によって黒が高貴な色として扱われていたときと赤を高貴として扱っていたころもあるので。
皇族が黒を高貴としていた時代から赤に変化した時、その他庶民が皇族の方と一緒の漆器を使うのは恐れ多いが、新しく黒いモノを作る費用も馬鹿にならないので、じゃあ黒に塗っちゃおうと赤い漆器の上に黒の漆を塗っているものもある。
ただ黒だけで仕上げた漆器はただの黒い漆器で黒根来のちがいは中に赤い漆を使っていてところどころに剥げた所に赤い色が見えるかどうかにある。
赤い漆は弱いので剥げてきて味になるが、黒い漆は丈夫なので剥げないので味もクソもないのになんでこんなことしたんだろうと不思議に思ったが、こういう理由があった。
ちなみに黒い漆は煤(すす)を混ぜるだけですぐに黒くなるので漆の成分に支障を来たることがないので丈夫なまま。
赤い漆は色粉をいっぱい入れないと赤くならないので強度に支障をきたし黒の漆に比べ剥げやすい(といっても科学塗料に比べれば遥かに丈夫だけど)
そこに目をつけた根来寺の僧侶が作ったので赤い漆器を根来塗りと呼ぶようになった。
銀瓶と云う名のただの薬缶
金瓶・銀瓶・鉄瓶という薬缶
銀瓶や鉄瓶の由来
茶道が中国から伝来した後、独自に抹茶を喫するようになった日本の茶道や煎茶道です。茶匠達は釜師に依頼しこぞって茶釜を作らせましたがその際により便利な茶釜をといって作っていった所、取っ手をつければ持ちやすくなるし、注ぎ口を作れば片手で湯を注ぐことが出来る形ができコレが鉄瓶の原型になりできあがりました。
1780年台、江戸時代の天明時代の頃「鉄瓶」という名前が使われるようになり今の鉄瓶の形が完成したと言われています。 南部鉄器といえば、鉄瓶を知らない人でも名前だけは聞いたことがある方も多いでしょう、岩手県の28代南部藩主である南部重直が茶道が大好きだったことと領地内で良質の鉄が算出されることを知り、わざわざ京都から小泉仁左衛門清行という釜師を呼び寄せ茶釜を作らせました。その中でより便利なものをということで先程説明した今のような鉄瓶が出来上がったのです。 またたく間に全国に広まり鉄器といえば南部と言われるくらい浸透していったのです。
今でも鉄瓶でお湯を沸かすとお湯が柔らかく感じたりすることや鉄分が取れるので貧血気味の人に良いということも、鉄瓶には二価鉄という成分が多く含まれていることが科学的にも証明されていてます。 また、水道水にはカルキが含まれていますが鉄瓶が吸収してくれるという事も判っています。
体に良くないモノを吸収してくれるのでいい事ずくめですが、使い終わった後は空焚きをして水分を飛ばす作業が必要になるので手間もあります。
ちなみにカルキ人間にとって健康を害するほど使われていないので安心と言われていますが、メダカなど小魚からすると猛毒なのでいきなり水道水の中に入れると死んでしまいます。 そのような事を考えると出来るだけ摂りたくはなくなりますので、出来るだけ鉄瓶でお湯を沸かそうかと思う今日このごろ。
説明が鉄瓶に特化してきましたが、銀瓶や金瓶を作られたのは江戸時代は裕福な商人などが面白がって作ったのが始まりなのでしょうね、お金が有り余っていた人の道楽からこの様なものが生まれたのでしょう。
金瓶
18金で作られているものが多く、底などに24K・18K・14Kなどの刻印があるので判断ができます。多くのものは金の重さで判断されその時の相場を元に買取額が決められることも多いですが、有名作家やデザインで金額が上乗せされることも。
銀瓶
瓶の中でも一番落ち着いた感じで筆者は一番好きです。金はどうしてもギラツキ感が多く成金趣味が臭ってきます(笑)
秀吉の金の茶室など全面に金を使い徹底的に金で装飾したものは行き切っているので逆に落ち着きもしますが、侘び寂びの茶室で茶釜だけ金色をしているとタダの成金趣味にしか見えません。
銀便は使い込むほどに、いい意味でくすんで来ていぶし銀になっていきます。その色合いが侘び寂びによく合います。
中には箱書きに「銀瓶」と書かれていても銀メッキを施した真鍮製と言うのもあるので注意が必要なんです、見極め方は「純銀」「銀製」「925」などの刻印があるかどうかです。
銀メッキでも時間が経てばくすんでいぶし銀になるので刻印がない場合はメッキを疑います。大昔に作られたようなものなら刻印が無いものもあります。
そんな場合は蓋を本体に当てて音を聞きます。もし本物の銀無垢であれば柔らかい音が出ます、そうでない場合は高い音がします。と言っても聞いたことがない人には判らないのでしょうが(笑)
もしわからない場合はお問い合わせいただければ査定させていただきます。
鉄瓶
南部鉄器や龍文堂などが有名なのですが、15年ほど前から中国の高度成長に伴い中国の煎茶道で日本の鉄瓶に味があると言って人気が出て日本の鉄瓶の値段が高騰していきました。
鉄で出来た古い薬缶でしか無いような鉄瓶が中国の国内で100万以上で取引がされているのですから驚きです。今ではそんなブームも過ぎ去り値段も落ち着いてきていますが、まだそれなりの金額で取引がされています。
夏の火鉢の使い方
火鉢の利用方法
「夏の火鉢」「昼行灯」など役に立たない例えに使われる火鉢ですが、お問い合わせが多いのもあり骨董屋的に考えてみました。
基本的に買取は厳しいものが多く殆どが買取不可と考えてもらいたいのですが、昔からあるので捨てるのも忍びないという方のため夏の火鉢を使う方法を考えてみました。
陶器製の火鉢
一番多いタイプで一人用から大部屋用など様々なタイプのものがありますが一番これが使い勝手がいいと思われます。
直径20から30cm位の一人ようのものなら、睡蓮や水草を育てるのに使ったり数匹程度のメダカを飼うのに適しています。
メダカを飼育するのであれば出来るだけ大きなモノがおすすめです。
直径も60cmくらいあり底はできるだけ広くて大きいものを選びます、これならメダカだけではなく金魚も飼うことが可能です。ただ金魚は横から鑑賞するものなので火鉢で飼うとあまりきれいに見えませんが。
メダカは錦鯉などと一緒で上から鑑賞するので火鉢で飼うのがバッチリです。
これくらいの大きさまでならマンションのベランダでも飼育可能ですし、ビオトープを作ることも出来ますね。
もしくは水の循環をうまくすれば室内に置いて上にガラスの板を置いてメダカの見えるテーブルにすることも可能です。
メダカは個体が小さいので浄化用のポンプなどが有るとその水流に負けてしまうこともあるので、出来るだけ手動で水換えを行ってあげたほうが良いでしょう。
長い目のスポイトで食べ残しや、う◯こを吸い取って不純物を取り除いてあげればそれほど水換えの必要も無いでしょう。
木製火鉢
木製のものといえば、時代劇で番頭さんが座っているところに鉄瓶などを置いて火箸で灰をこねくり回しているところを見たことがあるかと思います。
このタイプのモノは他の用途として使うのはほぼ不可能で、火鉢としか使えません。
灰を捨ててなにかの台に使うくらいでしょう。
もしくは火鉢として使うというのもありです。その際にはしっかりした換気をしないと一酸化炭素中毒で命の危険があります。
参照サイト:厚生労働省 e-ヘルスネット
火鉢の横に一酸化炭素が検出できるガス検知器を取り付けておくと良いかもしれません、もちろん定期的な換気をしないとほんとに危険です。
そんなことをしたらせっかく暖かくなった空気が逃げてしまうとお思いのかたもいるかと思いますが、火鉢の熱は空気を暖めるのではなく遠赤外線で人を温めてくれますのでジンワリとした暖かさで芯から温まります。少々換気したくらいでは寒くありません。
その他一人用の火鉢で木で出来ているものもありますが、これらも使いみちがありません。漆を塗った上に貝や金などを象嵌(ぞうがん)で装飾したものならもしかすると飾りとして使えるものもあるかもしれませんが。
金属製の火鉢
銅などを使った金属製の火鉢があります、殆どが一人用で細かな装飾が施されているのが特徴で飾りとして使用可能です。
これらの火鉢でメダカを飼うことも可能ですが、火鉢の底の部分が木材で出来ていることが多いため水気を使うと腐ってくるのであまりお薦めはできません。
その他、大広間で使うような大きなタイプのもありますが、これらの使いみちはほぼ無いでしょう。
火鉢の買取について
殆どの火鉢の買取は厳しいです。
陶器・木製・金属製とありますが、メダカを飼うために使うならよっぽどこだわりがある人なら別ですが、陶器製の火鉢ならホームセンターで数千円で販売していますし、大きさも色柄も選べます。
木製のものは無料で引き取るのも不可で、それでもと言われる場合は処分料が発生します
最後に金属製のものに関しては無料で引き取ることが出来るものもあるというくらいです。
結局火鉢の買取は出来ませんが、他に買い取ることが出来るものがあれば一緒に持ち帰ることもあるかもしれません。
買取可能な火鉢の特徴
茶道具などと同じように共箱があり作り手の名前がはっきりわかる美術品としての完成度が高いモノ。
螺鈿や蒔絵がたくさん入った漆塗りが施されていたり、杢の美的価値が高い希少な木材で出来たもの
江戸〜大正の時代物とはっきりわかる場合、買取りの可能性が出てきます。
なぜ骨董品の買取で無料出張が可能なのか?
その分乗せているからでしょ!
はい他の業者はそうだと思いますが、当店ではホントに出張料を乗せていません。
なぜ同じ無料出張で費用を乗せていないのかというと、帰りか行きの途中でリサイクルショップを廻るから出来ることで、途中のお店で間違った金額で売られているものを購入しネットで販売することで費用を賄っているのです。
リサイクルショップは宝の山
最近は何処の街にもリサイクルショップがあります、ブランド品から日用雑貨、カメラやギターなどの嗜好品まであらゆるものが売られています。
これらはお店に持ち込まれたモノを買取って販売しているのですが、その査定をしているのはプロの鑑定士が査定していると思っている方も多いですが、これらのお店の査定士はベテランのアルバイトがやってます。
相場表のようなものがあり、それを見ながら査定するので殆どのものはアルバイトでも査定が可能なのですが、ブランド品など偽物が多いものは間違うことが多く、ホンモノなのに真贋がはっきりしないので安く買い取り、安く販売しているのです。
もちろん、真贋が判らないので偽物を相場より安く売っていたりもします(笑)こういったお店は査定ができないのでお宝がイッパイ(売る方はたまったものではありませんが)
大手のリサイクルショップがほとんど加入している「日本流通自主管理協会」というのがありここに加入しているお店は絶対に偽物を販売しないと宣言しているのですが、結局アルバイトが査定しているのでガラスケースの中で販売していました(笑)
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間違ってリサイクルショップで偽物を購入したのではと思ったら、そのブランドのお店に行き鑑定してもらいましょう。ただ鑑定してくれと持っていっても断られることがあるので、「クリーニングの見積もりをください」と依頼します。
その商品が本物なら「幾らかかります」といって見積もりを提示してもらえます、もし偽物なら「当店では出来ません」と回答が帰ってきます(偽物や他所で修理などをされた商品はすべてメンテなどしてもらえません)。
見積もりが出た場合も必要なければシナイで持ち帰ればいいし、やってもらってもいいでしょう。
もし、拒否された場合はリサイクルショップで購入したレシートを持ってそのお店に行き「偽物なので返品します」と言えば素直に応じます。
他のものは返品は効きませんが、ブランド品は偽物を扱うだけで犯罪になりお店の看板に傷がつくのでできるだけ穏便に済ませたいのでしょうすぐに応じます。
それでも応じない場合は警察に持ち込みますと言えば一発で返品OKになるでしょう。まずそんなことはないと思いますがね。
そんな事しないで費用を乗せるほうが楽なのでは?
確かにそのほうが楽なのもありますが、リサイクルショップだけを廻るのにも交通費がかかります。
出張買取の場合でも交通費は掛かります。
それを出張買取とリサイクルショップ廻りを一緒にすればどちらの経費も賄えるので結果どちらも利益率が上がることになるのです。
多くの買取店では出張買取の際には交通費を勘案して査定額を提示することがほとんどです、それを考えてお客様も持ち込みならその分高くなると思って持ち込みをされる方もいらっしゃいます。
当店ではそれもどうかと思っていて、どうにかして出張料をホントに無料に出来ないかと考えたのがリサイクルショップと一緒に回る「ハイブリッド出張買取」というのを編み出しました。
おかげで、リサイクルショップ仕入の利益率もあげることが出来、出張買取の交通費を掛けることがないのでその分高価買取が可能になりました。
お店がある買取店は買取額が安い
リサイクルショップに限らず、骨董品を扱うお店にしても店舗の家賃やその他経費が掛かるのもあり高く買えません、それに出張の依頼があれば一人でしたら店を閉めて行かなければならないので大体が2人体制でやっています。そうすると人件費も二倍になり物凄い経費になります。
そんなこともあり、大手に限らすお店があるようなところで買取を依頼すると買い叩かれることになるのです。
買うなら店のほうが良いのかもしれないが
商品を購入するのならお店がある方が安心なのかもしれませんが、骨董品などを処分したいと思って来てもらうのは自分が売る立場なのでお店が有る無いに拘る必要も無いような気がします。
来てもらって不用品を持っていってもらってお金がもらえるんですもんね、自分で不用品を片付ける場合は焼却場などに持ち込んだりと手間とお金が掛かります。
そう考えると出張買取って便利なシステムな気がします。
それは一本の電話から始まる押し買い
掛かってきた電話にはご注意
毎年オレオレ詐欺などの特殊詐欺の被害者の件数が増えていき、手口も巧妙になって若い人でも騙さされてしまうこともあるみたいです。 気をつけたいものですが手口も巧妙になり裁判所からを装った手紙を送りつけてきたりとやり方が悪質です。
その手口をマスコミが報道するので、詐欺グループは「ほう!そんな手口があったのか!」だったり「バレてきたのでもう使えないなぁ」だったりと、手口を公開して余計に広めています。日本のマスコミはホントろくな事をしません。
マスコミの仕事は世の中の先導
先導と行ってもいい方向に向かうためではなく、日本という国を崩壊に導くための先導です
「ハゲタカと少女」と言う1枚の写真がピューリッツァー賞だったかなにか報道写真の賞を取って話題になり、それが是か非かという議論をしていました。
内容は戦争でやせ細って今にも命が絶えそうな少女の横にハゲタカが写っています。 息絶えたら食べようと待っているようにも見えます。
それを人間として写真など撮っている暇があったら助けろという人と、写真家は因果な商売でその写真を撮ってみんなに知らせるのが使命なんだと言う人がいました。 私から言わせれば所詮芸能人の不倫を追っかけているパパラッチと変わらん使命にしか見えない。
戦場カメラマンはその悲惨さを伝えるのが使命と勘違いしていて、今にも死にそうな人を写真に収めるのが俺の仕事だと思っています。
確かに、その写真があれば戦争の悲惨さや悲しさがより伝わるとは思います。でも、より伝わると言うだけで戦争が無くなるわけではありません。 誰でも戦争は悲惨で悲しいものと言うことは知っています。 わざわざパパラッチが取ってきた写真で凄惨さを再確認したいわけではないのです。
結局「ハゲタカと少女」という写真を撮ったカメラマンは賞を受賞しましたが受賞後3ヶ月で自殺したそうです。ホントに自分は正しかったのかどうかということに苛まれていたそうですが、そんな事も判らないから戦地にまで言ってそんな写真を撮ろうと思うのです。
マスコミはそれが正しいのか間違っているのかさえも判らず是か非かという議論をして結果は出ませんでしたと言って終わらせていました。 このような奴らが作ったものですから信用など出来ません。
特殊詐欺に隠れて暗躍しているのが押し買い屋です。
一昔前金が高騰していた時期に流行ったのが金プラの押し買いです。
一軒ずつ回ってお年寄りなどから殆ど騙して金やプラチナを格安で買い取るという押し買いが流行り社会問題化して、法律も変わりやりにくくなってきたので最近は見かけなくなりました。
最近は訪問ではなく電話
何時何時そちらの地区を回らせていただくことになりまして
その際にですね、「切手や着物などの不要になっているものを買い取りさせていただきたいのですが、なにかお売り頂けるものはございませんか?」
などと言って電話がかかってくる。
その他には「靴一足から不要になった古着1着でもお伺い致します」といって掛かってくる。
呼んだら最後
邪魔になっていたモノを買取ってもらえるのならと思って、古い着物など売りたいから何時いつに来てくださいと言って電話を掛けてくるような業者を呼んでしまったら最後です。
着物などはまず値段がつかないので「あーこれはダメですねー」と言いながら適当に見てるふりだけします、そして絶対に言うのが「金製品かプラチナ製品、もしくはブランド品などありませんか?」です。
あなたがいくら無いと言っても。
そんな奴らはせっかくガソリン代使って来ていて何も無いでは上司に怒られるんですよ、なにか出してもらわないと困りますと言って凄んできます。
女性やお年寄りだと怖いので無理やり出してしまい、相場より遥かに安い金額で買い取られてしまいます。
これが今の押し買い屋の手口です。
坂◯忍がコマーシャルしている「着物はバイ◯ル・ハナ・ハ◯・ハナ」も同じ手口でやってます。
競合したお客様がウチより先に呼んでこんな事がありましたと教えてくれました。
テレビでコマーシャルや広告は信用できない
有名人が出ているので安心と思って電話したら上記のような事になります。
ちなみにこの業者は以前スピード買取という名前でやっていましたが、あまりにもやり方がひどくて苦情が多かったため名前を変え、運営者も変わったみたいです。
何方にしてもあれだけテレビでコマーシャルを流せば膨大な広告費が掛かるのでその分買取額は低くなるでしょうね(笑)
その他のネットで検索したときに一番上に広告費を払えば出してもらえる所がありますが、ココに出ている業者もおんなじです。
これはPPC広告と言ってワンクリックされたら幾らという課金制で、ちなみに「骨董品 買取」で広告を出すとワンクリック数百円から千円位かかります。
ですので、このような業者で買い取りしてもらうと広告費がエゲツないのでその分格安で買い取られます。
まだある新手の押し買い
- ある商品を格安で販売しますと言った電話が来ます→興味もなく不要なので断るとあっさりと引き取るが、最後にいつでもお電話くださいと言ってから切る。
- その後@で売りつけてきた商品が大量に必要ですお持ちではないですか?といった電話が来る。大量に必要で幾らで買い取りますと言ってくる
- 先程の売りに来たヤツから買ってAの業者に買取ってもらえば結構儲かるから@の業者に電話して購入しようとなります
文章で書くと単純なのでバレますが、実際にやり取りしているとなかなか気付かなくて騙されてしまいます。
そうです、@とAの業者はグルもしくは同じ業者です@から購入したものはAでは買取ってもらえないか二度と繋がりません。
買取屋は胡散臭いヤツが多い
当店も買取を専業としているので悲しくなってきます。
儲かると思うのか色んな人が参入しては消えを繰り返しています。
ブランド品や金・プラチナなどから古着・家電製品・楽器などあらゆる買取屋があります。
これらの買取屋の特徴をあげると
- 素人がはじめた感がイッパイ
- 扱うのは骨董品ではなく中古品
- どこでも手に入る
- セドリや副業で始めた人が多い
ハッキリ言って誰でも出来る商売です、なぜならコレらの物はネットで調べれば簡単に売れる値段仕入れていい値段が分かります。それを如何に相手にバレないように安く買い叩く、もしくは無理やり買取ってくるの何方かしかありません。
だから一軒ずつ電話して、金プラチナありませんか?と言って行くしか無いのです。そして引っかかった先で無理やりもぎ取ってくる位しか出来ないのです。
そこにはマーケティングも戦略もありません、人海戦術でやって怒鳴られても嫌われても気にせずに電話していくだけ。そこでたまに引っかかる人から無理やりもぎ取るということを繰り返します。
だから胡散臭いと思われるのです。
買取にもクーリングオフがあります
電話で買い取りしたいと言ってきたような業者でしたら、泣く泣く売却したようなものでもクーリングオフの期間というのがあり買い戻すことが可能です。
もし、その業者が渋るようなら警察に届けますと言えば直ぐに応じるでしょう。
古物商は警察の許可が無いと出来ませんし、警察もそんな業者を潰したいと考えているので効果てきめんです。
ただ、ご自分で買取業者を呼んだ場合や持ち込んだものは対象外ですのでご注意ください。