2020年04月26日
根来塗りとは
根来塗り
大体の人が朱色の漆器を想像するだろうが結構間違っている。
ただ赤い漆器を指すのではなく、黒い漆を塗った物にさらに赤い漆を塗ったもので根来寺で制作されたものを"根来塗"と呼び、それ以外のところで作られた赤い漆器をただの"根来"と呼ぶ。
赤い漆は色を出すために多くの色粉を使用しないといけなく強度がなくなっている。その為使っているうちに剥げてあの独特の具合になっていく。
なので古い根来塗りは布で拭くだけで赤い漆が布に付くくらいである。
逆につかないモノは古くないとも言える。そもそもこういった新しいものは"根来"とも呼ばないただの赤い漆器だけど・・・。
黒根来というものもある
黒根来と呼ばれる黒いものも、古いものにはダン紋と言うシワがよっている。コレは木材と漆では水分の抜けるスピードが違い木材のほうが早いためより縮んでしまうので漆の行き場がなくなり木目に沿って膨らんでくる。
根来塗りとは
鎌倉時代、高野山における対立により紀伊国根来寺(和歌山県岩出市)に本拠を移した新義真言宗の僧徒が、寺内で使用するために製作した漆器が有名となったため、広く朱漆器が「根来塗」と呼ばれるようになったとされる。
一般に、古い朱漆器では、表面の朱漆が摩滅して、下地に塗られた黒漆が所々露出し、模様のように見えることが多い。これを人為的に再現し、朱塗の中に黒い部分が浮かぶのを、デザインとして見せることも行われている。
1585年(天正13)豊臣秀吉の根来攻めにあたって、漆器職人達も根来を退去し、海南黒江、輪島、薩摩等に移住して、それぞれの土地に漆器の技法を伝えたとされる。
朱漆をかけず、黒漆のまま仕上げたものは、「黒根来」と呼ばれることがあり、茶道具として珍重される。
「根来塗り」(2018年1月24日 (水) 21:10 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。
漆塗り自体は縄文時代頃から作られていたので、初めて根来塗りが作られた頃には数千年から1万年位の歴史がある工法だったので色んな方法で作られてきた。
ウィキペディアの解説はちょっと変
ウィキペディアの解説で黒だけで作られたものとあるが、骨董品を取り扱う筆者の見解は違う。
当時食器などは漆器が多く使われていて、当然皇族の方達も使われていた。
皇族では時代によって黒が高貴な色として扱われていたときと赤を高貴として扱っていたころもあるので。
皇族が黒を高貴としていた時代から赤に変化した時、その他庶民が皇族の方と一緒の漆器を使うのは恐れ多いが、新しく黒いモノを作る費用も馬鹿にならないので、じゃあ黒に塗っちゃおうと赤い漆器の上に黒の漆を塗っているものもある。
ただ黒だけで仕上げた漆器はただの黒い漆器で黒根来のちがいは中に赤い漆を使っていてところどころに剥げた所に赤い色が見えるかどうかにある。
赤い漆は弱いので剥げてきて味になるが、黒い漆は丈夫なので剥げないので味もクソもないのになんでこんなことしたんだろうと不思議に思ったが、こういう理由があった。
ちなみに黒い漆は煤(すす)を混ぜるだけですぐに黒くなるので漆の成分に支障を来たることがないので丈夫なまま。
赤い漆は色粉をいっぱい入れないと赤くならないので強度に支障をきたし黒の漆に比べ剥げやすい(といっても科学塗料に比べれば遥かに丈夫だけど)
そこに目をつけた根来寺の僧侶が作ったので赤い漆器を根来塗りと呼ぶようになった。